茨城への移送

東日本入国管理センターからの警告を受け記述の一部を伏せ字にしました(経緯については、「このブログと入管の検閲について(ブログ管理者より)」を参照してください)。

 改めまして、Big_Papaです。
 皆さんどのようにお過ごしでしょうか。夏ももうすぐ終わりに近づき、今年で3年、海や川に行けてません。。。泣
 さて、ココはリアルタイムでこれからどんどん収容所の実態を暴き出していこうと思いますので、質問やリクエストがあればどんどんお待ちしております。全てにお答え出来るかは分かりませんが、時間だけは余る位ありますので、出来る限りお答えしていきます。

 開設の時にも言いましたが、9月7日(金)朝8:10に東京入国管理局から茨城にある東日本入国管理センターに移送されて来ました。
 この時は僕の他に男4人、女1人の合計6人で大型バスで東京を8:40に出発しました。
 ちなみにバスに乗る直前に待機室で手錠をすると説明があったのですが、僕は強く拒否しました。
 何回も、ノー、ノー、ノー、ノー、ノー、と言いましたが、入管職員の言うには、規則であり、護送用のルールにあると言われ、しないと力ずくでやるし、力ずくで連れていくとハッキリ言われたので、やむをえず、しました(移送される他の人にも迷惑だったのもあります)。一応2人で1個の手錠で、片手ずつで、女性1人と、男1人の余った人は両手でした。
 バスに乗り、職員がやたらさっきの機嫌取りなのか話し掛けてきたので、「頭痛いので話し掛けないで下さい」と言い、となり同士になった×××人と話を始めましたが、すぐに映画が流れ、邦画の「カイジ」が始まりました。4,50人乗りの大型バスに外国人6人に邦画、これはどういった光景でしょうか。笑えました。
 入管はギャグなのか、たまに意味不明な事をしでかす事が多く、東京では娯楽道具にチェスではなく、将棋を投入してます。センスがないのか、上が適当なのか分かりませんね。漢字も分からない人が多い所にルールも分かる訳のない物を普通入れますか? 皆ギャグと認識しています。
  バスにゆられ1時間20分。東日本入国管理センターに無事(?)着き、映画が途中で消され、20分位バスで待たされました。待つなら何で映画を映画を消したのでしょうかね。エンジンはつけっぱなしなのに。。。汗
 とりあえず、「トイレ!」と叫び、となりの×××人も道づれでトイレタイムです。(2人で1個の手錠なのでしょうがない(笑))
 終わるとすぐに荷物チェックで、この×××人と、女性の○○○人と僕でなぜか3人だけで前半とふり分けられ、残り男3人はバスで終わるまでまた待機でした。
 流れはすぐ写真をとって、荷物1個1個細かくチェックされ、中で使う物の申請書を書いたり(電動ヒゲソリや自分のサンダル)して、ひまになったのであちこち歩いて張り紙の持ち込んで良い物、悪い物をずっと読んでました。そのうちチェックが終わり、ボディーチェック、所持金見て、体重と身長、血圧を計り、また同じ荷物チェック、同じのを2回目が始まり、再びボディーチェック。
 気づいたら11:20位で、×××人と一緒に収容されるブロックにGo→です。
 女性はもう気付いたらいなくて、バスで待ってる人達が自分達でなくて良かったなという反面、申し訳ないのがありました。
 少し歩いて連れてこられたのが9ブロックの3階で、×××人と別れて彼は9Aブロックに、僕はとなり、真横の9Bブロックに入って新しい生活のスタートです。
 僕の入った所は約30名の収容人数で、後で知ったのですが、×××人の入った9Aブロックは約5,60人位でした。
 一応部屋が5人部屋で5つあり、どれも2段ベッドで僕はその1つの下の方になりました。
 すぐに部屋に荷物を運び、荷物整理です。すると皆が集まり、周りには約8~10名、どこの国と聞かれ、ペルーと答えるのくり返しでした。そのうち同じ○×□□□人が来て、久しぶりのスペイン語にベロかみまくって一安心。
 すぐにフリータイム(開放時間)が終わり、茨城では9:20~11:40までで昼食を12:00にはもう食べ終わっている事が多いみたいです。
 ある程度荷物をまとめ、午後のフリータイム開始。と、その前に僕は再び申出書(アプリケーション)を6枚位(電卓使用、目薬使用、歯科治療継続、便秘の為の牛乳食、オセロ使用)を書いて13:15位から□□□人と合流。すると13:45から運動が40分あると言われ、くつ使用のアプリケーションも書く事に。運動場は外で久しぶりに太陽に当たり、汗が気持ちよく、サッカーがなつかしかった。この日の夜は疲れがたまって9時前にはぐっすり眠ってしまってました。
(2012年9月7日、金曜日)