半身、血のギブスの人

東日本入国管理センターからの警告を受け記述の一部を伏せ字にしました(経緯については、「このブログと入管の検閲について(ブログ管理者より)」を参照してください)。

  朝、10時半頃面会に行き、その帰りに車イスに乗った一目で重傷だと分かる人が横からブロックに帰る途中一緒になって戻る事となりましたが、全身やけどと、ギブスと血だらけで、上半身はだかで1m以内だから生々と見ましたが、横になって寝るのも困難な人を何で拘束するのか僕は理解に苦しみました。
 軽傷なら分かりますが、わざわざ2人がかりで移動させる重傷者です。
 この後ある警備官の一言が忘れられない残念な気持ちにさせられました。
 僕が、
「あの人どうしたんですか?」
と聞いたら、他人事で、
「これから病院じゃね? ハハハハハハハ!!」

 言葉を失いました。
 目の前にとても重傷と分かる人がいるのに、無神経なこの言葉はどこから出たのか。
 ここでは体調や体がどんなに悪くても、気づかいや心配も何もしてくれない、卑劣な所だと確証した瞬間でした。


 午後3時25分頃、となりの9Aブロックの収容者達と初の意見交換を、一応ここのブロックのボスの配慮と9Aの人達の要望で赤裸々な意見を言い合いました。
 調べ室に9Aの×××人、×××人、×××人と、9Bは私のペルー、×××人、×××人の3対3で、ボスが1人口をはさまない形でいるだけの状況で約1時間半位しました。
 私達は大きな目標を持っているのに対し、9Aの人達は今の現状で満足しており、出来る事をやるのみ(小さい事)で最初から出来ないと思う事に対してはやらないと。正直9Aは入管に洗脳されてる部分があり、証拠の残らない職員のレポートと面接だけで[処遇改善の要求を]終わらせ、後は変化を待つのみで、アメとムチを使われているのにすら気付いてない人達で、正直個人的な感情はガッカリでした。最後に言われたのが、
「ここから出たら勝ちだから」
という言葉でしたが、仮放免で出ても再収容があり、そしたらまた仮放免を待たないといけないのを理解してない人達で、入管に何て言われてるのか気になります。
 出たら勝ちではなくて、牛久みたいな卑劣な施設を潰す事が第一歩の勝ちだと私達は想って、今後も頑張っていきたいです。
 ちなみに9Aとは今の所仲良くやっていけそうもないので、目が覚めるまで距離を置く事としました。
(2012年10月5日、金曜日)