遺書
東日本入国管理センターからの警告を受け記述の一部を伏せ字にしました(経緯については、「このブログと入管の検閲について(ブログ管理者より)」を参照してください)。
今日から9Bは午前と午後、運動の時間を厳守する事に!
どれも2分前には皆部屋に戻ってくれてありがたいし、1つになってきています。
担当からも、スゲーとほめられ、びっくりしてました。目標あってからこそです。
夕方に少し暗い事がありました。
6時少し過ぎた頃、×××室の×××人から英語の遺書をもらいました。
内容は、「助けて下さい! 今家族や妻、子どもたち皆バラバラで皆不安定であり、妻は自殺未遂を何回もして私は仮放免不許可です。」
「もし妻や私が自殺したら全て入管と日本政府の責任です。」
正直この紙は今の僕には重く、ショックのあまり言葉も返せない状況でした。
軽々に僕の意見なんて言えなかったので、明日話をする事にしました。
この後、×××の人はずっと泣いてて、心臓も痛くなったことから血圧を一度計ることに。
163の110位で、めまいとけいれんもし始め、涙もひどくなるばかりでした。
この時対応した担当が心配したのか、何で泣いてるのか聞いてきて、皆でシカトした為、少し経った頃にドアを開けて別室で話を聞かれる事に。
×××の人は事情を良く知っている僕もついてきて欲しいと言ったので僕も一緒に調べ室に。
最初私達2人はあまり話さず、×××の人は泣いて担当の質問を聞くだけでした。
けれどそのうち家族の事や妻の現状、不安定で毎日ネガティブな事を言ってるのを話し、ずっと心にしまっていた品川[東京入国管理局]で結婚の書類等はゴミや家族もゴミと言われた(←品川の警備官に)のをこの担当にぶつけ、担当もとまどい、返す言葉もなかったです。
入管は他人の人生をゴミ呼ばわりして良いのでしょうか?
少しだけ話した頃、×××の人が不安定になってきたので居室に戻る事にして調べ室を出ましたが、その先のドアはなかなか開けてくれず、ちょうどブロックのボスが来ましたが、×××の人が泣いているのを見ているのに無神経な程に笑顔で来て世間話をふってきましたが、場違いだったのでシカトして目線を×××の人に移してやりました。すると少し落ちついて、話を少し聞いたら行くからと言われ調べ室に戻る事としましたが、5分経っても来なかったので今度こそ[居室に]戻る事にしました。
調べ室を出てもその先のドアを開けてくれませんでしたが強く開けて下さいと言い開けてもらい、部屋の前に着いたらまた調べ室に戻るように言ってきたので、さらに強く部屋のドアを開けるように言い、開けてもらいました。
その後は私達で話し合い、少し落ちついてもらいました。
少し心を落ちつかせてまた明日話をする事としました。
入管は、他人の人生を左右して、施設内では職権乱用、ひどい時には暴行や暴言です。
そして収容期間も無期限で精神的苦痛を強いられ、都合の良い時は刑務所と並べて話してきますが、ここは刑務所でしょうか?
私達には力がなく、何も出来ないのを良い事に職権悪用し過ぎです。
この頃不満があるだけで言ってしまいましたが、皆さんお許し下さい。
(2012年10月15日、月曜日)