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最近の出来事

先週の木曜日、仮放免証明書を紛失しましたm(__)m

免許取得するために免許センターに出向いて、リフトの資格などでどうにかできませんかとそこの職員に聞いいてみたが、ダメとのことで名古屋入国管理局に電話!

big papa   仮放免証明書なくしたんですけど、どうすればいいんですか?

入管職員 一度こちらに出向いてください、再発行の手続きをしますので書類を受け取     りに来て、警察に紛失届出してまた出向いてもらいます。

big papa    一回で両方の手続きをできませんか?

     遠いし、お金もかかるので!

入管職員 一度来てください。

     それはできません。

big papa     分かりました。

午前中に出向いて、一時には名古屋着いて受付したら、仮放免担当が自分と話したいと!

地元行って、警察署行かないと行けないから早くして!

と言ったら、しばらくしてまたこんど来たら話し聞きますと。

この前来た時に担当が忘れたから今更・・・・・

とりあえず再発行の手続き用紙をもらって帰宅!

 

来週の月曜日にまた手続きを!

どうなるかまた報告します!

3月5日デモ

この日、法務省入国管理局に対して大きなデモがありました!

もちろん参加して、中に(入国管理局収容所)入ってる仲間たちのためや、自分たち自身の為に抗議の声を上げてきました!

強制送還やめろ!

ビサをだせ!

長期収容やめろ!

再収容やめろ!

人間としてみろ!

在留資格をだせ!

チャーター機をやめろ!

仲間を返せ!

家族を返せ!

差別をやめろ!

 

と、拡声器を片手に法務省入国管理局一週して、入管職員が付き添ってたので目を見てこれらのことをブツケましたが誰一人として目を合わせてきません!

何ででしょう?

雨の中でしたが、びしょ濡れになるのなんか気にしていられなかったくらい気持ちや感情が表に出てました!

今回は色々考えさせられることだらけで、いい経験をさせてもらいました!

 

次は8月!

500人以上集めて、皆で団結、声を上げていければと思います

 

仮放免許可後の生活

このブログを読んでくれています皆さん、様々な方のご支援、協力、支えがあって2013年12月3日に牛久収容所から仮放免で出ることができました。

そのご報告と、お礼をまず申しあげたいです。

遠い所まで面会に来てくださった方々、本当にありがとうございました。

皆さんの面会や手紙がなっかたらここまで強くいれなかったし、成長できなかったとも思ってます。感謝の気持ちでたくさんです。

そして、このブログを僕の為に色々やってくれていた永井さんにお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

 

仮放免になってから、そろそろ2ヶ月になろうとしていますが、生活は正直思ってたのと違い、現実を直面しています。厳しい限りです。

そして、入管の冷めた対応に呆れさせられ、怒りの感情がでています。

本当に人権を踏み潰され、歯を食いしばる他に私達仮放免者にはありません。

できることは限られてきますが、仮放免者の会主催で3月5日に法務省前でデモやるので、参加することと決めました。

このようにしかアピールできないけど、皆で力合わせてどんどん訴えていければとおもいます。

 

2月6日に名古屋入管へ更新手続きしに行きますが、今度は何て言われるのか。

 

面会の職員立ち合い(6月1日の日記)

昼食
サバの幽庵焼き(○)、ふりかけ(ごま塩)、オクラのフリッター(×)、マカロニボロネーズ(△)、フルーツ(オレンジ)

夕食
チキンカレー、福神漬け、フルーツ

昨日の電話の件で*1、朝一に知人のイラン人の会社にTelしたら戻してくれており、助かりました。
なので皆にもう大丈夫だよと言い、一安心して二度寝を……

その後起きた時にお知らせボードを見たら、

関係各位
                          お知らせ

当センターでは、被収容者との面会において、職員の立ち合いを一部省略して参りましたが、今後、これまで立ち合いを省略していた方々の面会において、職員を立ち会わせていただく場合がありますので、御理解、御協力をお願いいたします。

                                          平成25年6月3日

                                          東日本入国管理センター


夜の薬の時間帯にじん麻疹が出たので、ベタセレミンを飲んだが効果は……ない。これは発疹出た時に飲む薬で、5日分だけの処方薬。
5日分だけ……
(2013年6月日、土曜日)

食事に生きたままのハエが……(5月31日の日記)

昼食
アジフライ(×)、人参のグラッセ(×)、ワカメとオニオンのマリネ(×)、焼きうどん(△)、フルーツ(グレープ)

夕食
野菜のミートソース(○)、カリフラワーのマリネ(×)、煮豆(△)、スパゲティサラダ(○)、フルーツ

夜の電話の時間帯にまたやってしまいました(19:00~21:00の20:50頃)。
電話機に自分のカード番号(テレホンナンバー)を登録してしまい、皆その電話機を使った場合はフリーに掛けられてしまう状態にしてしまい、ミスを。
明日の事も考え、かなり金額も残っていたのでカード会社の知人にすぐTelして、登録したナンバーを元のカードに戻して下さいと頼んだ所、明日は土曜で会社休みだから分からないけど、なるべく戻すようにすると言われ、登録カードとIDを教えて頼む事に。
万が一のことも考えて、全部の居室に頭を下げに行って明日もしかしたら電話機1台使えなくなるけどそしたらゴメんなさいと。
そしたら皆温かい人達で大丈夫だよと、2台しかない内1台が使えなくなるかもしれないのに……本当に良いフロアに恵まれました。

今日の昼食、他の部屋で食事にハエが出てきました(ピンクパンサーの部屋で)。
しかも生きたままで、その部屋の人達は食べる気なくなったと言い、我慢とストレスを増やす事に。
写真に収めてもらい、証拠のハエは自分が保管する事に。
いつまで続くのかな……
不衛生の報告でした。
(2013年5月31日、金曜日)

重病人の隔離?(5月30日の日記)

(管理者注: 前回まで6回にわたり、6月の被収容者による集団での帰室拒否ストライキと、7月6日に行われたフィリピン人一斉送還についての日記を掲載してきました。これは、Big_Papaさんより、これらの日記を優先して先に掲載してほしいとの依頼を受けてのことです。今回から日付はさかのぼることになりますが、日付の古い日記から順に掲載していきます。)

昼食
野菜のかき揚げ(×)、ポテトサラダ(△)、竹の子のマリネ(×)、ビビンバ風切り干し大根(△)、フルーツ(グレープ)

夕食
鶏肉のロースト(○)、高野豆腐(△)、もやしキムチ(△)、ビーフンの炒め物(△)、フルーツ(グレープ)

午後4時頃に行った面会の帰りに女性1名が統括、看守責任者級のボスと男女の警備官6、7名に付きそわれながら隔離房の方へよちよち歩きしながらとても具合悪そうに歩いていました。彼女は職員らに車イスに乗って移動するよう言われていたが、これを断り、時間をかけて少しずつ一歩一歩歩いているのを背中ごしに少し見つめていました。
今は自分の憶測でしか分からないですが、分かった事ありましたら何でこんなに職員に囲まれながら車イスを横で職員が押し、荷物等を台車で引いて隔離房(懲罰房)に向かって隔離されに行ったか答えを出したいと思います。
(2013年5月30日、木曜日)

フィリピン人一斉強制送還(7月6日の日記)

昼食
チキンハンバーグクリームソース(△)、春雨サラダ(△)、スパイシーポテト(×)、タヌキうどん(△)、フルーツ

夕食
チキンカレー、福神漬け、フルーツ

昨日の夜10時半過ぎからチャーター機での同意なき無理やりの強制送還が行われました。

収容所内での動きですが、
昨日の夜10時半、又はその前から1つのフロアに対して50人前後の看守達が押しよせて来て、眠っている者でも構いなく即、「自分から荷物まとめて帰るか、無理やり帰るか」と選ばせて、荷物を本人にまとめさせ、9つのフロアで男25、26人位、女2人で同じ時間帯に外に待機してあったバスで成田空港へ。
あるフロアでは周りの者がこの行為に怒り、ドアをたたくなどしていましたが、入管側はお構いなしです。
そのまま成田空港の中なのか外なのか分かりませんが大きな倉庫2つに連れてかれ、この時入管職員は倍以上の人数で、1人に対して3人付いていたとの事です。
飛行機がフィリピンのマニラに飛んだのが朝11時なので、それまで出国手続きなど、色々と準備を。
ある者が入管側に、「荷物も残ってるし、お金もまだある」と言ったら、返ってきたのが、
「それが? 関係ない、おまえは今から帰るんだよ!」
と帰されるからと言葉の暴力があちこちで普通にあり、非人道的な現場だったと帰された本人から聞きました(国際電話をフィリピンにして直接聞きましたので言ってること全て真実です)。
抵抗する人にはスタンガンみたいなショック電流を流されたとこの人も証言してくれ、実際、手に流されたと。
さらにヒドい人には箱に入れるなど、聞けば聞くほど心が痛む話ばかり。

飛行機には子ども1才~5才の男5人、女3人、成人女性13人、男性54人の合計75人と法務省発表あります。
この子ども達も東京入国管理局で収容され、1才と3才位の子ども達が中にいるのをボランティアの方が目視で確認もしており、この母子達は1週間~2週間収容されていたとも確認取れてます。
そして中には裁判準備中や、母国語話せない人もいたり、実際フィリピン帰ったら帰る家もなく今は政府の施設に住んでる方もたくさんいます。

これらはニュース番組にも流れており、フィリピンのメディアも帰された人達のインタビューや番組が調べてくれており、今後明るみに出てくる事なので真相が見えてきます。

同じ部屋から連れてかれた人を見て、同居人の人達は今皆おびえており、次は自分の番じゃないかと心配しています。
この心理的状況は中にいてこの立場にいる人達しか分からない事ですが、その人の人生がかかっているのですさまじい不安とストレスです。

 

リンク

(2013年7月6日、土曜日)